【NHK Eテレ「ヴィクトール・フランクル(心の時代 〜宗教・人生〜)」第5回目を見て】

お知らせ

Eテレ「心の時代」ヴィクトール・フランクル第5回目は「究極の意味」についてのお話でした。
勝田さんが仰っていた「人生はロッククライミングと同じ」という言葉がとても印象的でした。

フランクルが幾度も体験した、窮地のたびに救われるという“偶然とは思えない不思議な出来事”。のちに振り返れば神の思し召しだったと思えるけれど、苦しみの渦中は誰もが迷うし、ショックを受けたり落ち込んだりする。そこで気持ちを切り替えて、そのつど選択に最善を尽くすことが大切で、苦しい時ほど「山を登る」ように、上に向かい、明るい光の方へと進むことで、人生は必ず開けてくる。そんな希望に満ちたイメージを受け取りました。

番組の後半で、フランクルは実はとても熱心なユダヤ教徒だったと知りました。
破壊されたユダヤの礼拝堂の代わりに異教の大聖堂へ危険を冒してまで祈りを捧げに行ったことや、瓦礫の欠片の「汝の父母を敬え」のメッセージ、原稿を失ったことが自分の身でロゴセラピーを試せという要請だという直感、「究極の意味」へと至った経緯が理解でき、ストンと腑に落ちました。

神の思し召しのような不思議な導きに、実際に何度も救われてきたフランクルが、なぜロゴセラピーの中に宗教を入れなかったのか? 自身もユダヤ教徒なのだから、宗教や神の概念を入れたらもっと容易だった気もするけれど、信仰を持つ人だけでなく、持たない人も、民族も国境もなくすべての人が平等に救われる道を説くことを追究し、自らの身をもって実践したところが(カトリックの人と再婚してしまう所も!)フランクルらしくて、とっても素敵だなぁと感じました。

ところで、“偶然とは思えない不思議な出来事”は、一体どうして起こるのでしょうか。
谷口清超著「『甘露の法雨』をよもう」には、生長の家の信徒たちが体験した、聖経『甘露の法雨』がお守りになって事故や災難から救われた話や、偶然とは思えない不思議なエピソードの数々が、理論とともに紹介されています。

『甘露の法雨』は「お経」として読誦するものですが、もともとは創始者が書いた一編の「詩」なので、仏教の専門用語はなく、普通に読める分かりやすい言葉で書かれています。

お経を読んだり持ったりするだけで功徳がある──初めて聞く人は、にわかには信じられないかもしれないけれど、フランクルを知った後なら「本当にあるかも…」と思えるのではないでしょうか。
人智を超えた不思議な世界を、あなたも覗いてみませんか。

(営業部・A)

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